ビデオメッセージ

コロナ禍で学校に講師を呼べなくても「よのなか教室」が実施できるよう、株式会社ケーブルメディアワイワイの協力を得て制作した動画です。

◆新型コロナと闘った「済生会日向病院」の看護師のみなさんたち 2023年3月制作
済生会日向病院では、新型コロナの流行が始まった2020年から専用の入院フロアを設け、コロナ患者を受け入れている。そこで奮闘されてきた看護師の方々の姿は世間一般にはあまり知られてはいない。
新しいウイルスに対して多くの不安や恐怖心があり、防護服を着ての看護には想像を絶するような苦労があった。その後、感謝と敬意をこめて「エッセンシャルワーカー」と呼ばれるようになった。「やりがいと誇りを感じられる看護師の仕事をめざしてみませんか」と子供たちへのメッセージが語られます。

◆のぼりざる製作者 橋倉 由美さん 2023年5月制作
橋倉さんは、延岡で唯一の「のぼりざる」製作者です。東京のデザイン学校を卒業後、東京で仕事をされていましたが、父親が亡くなる時に「のぼりざるはとてもいいものだから、お前の手で延岡に残してくれ」と言われて延岡に戻ってこられました。「将来は、延岡をのぼりざるで有名にしたい」と夢を語られています。子供たちには「夢が叶えられなくて途中でやりたいことを中断せざるを得ないこともあるかもしれない。でもあきらめないで欲しい。必ず次の目標がみつかります!」とエールをおくられています。

◆延岡市議会事務局議事係 甲斐 聡さん 2023年8月制作
甲斐さんは、公務員として、「困っている人には寄り添うこと、だれに対しても同じように接することが、人のためになり信頼される人間になる。そのことを大事にして仕事をしている」と語られます。一旦就職した仕事ではプライドをへし折られ、自分で思っていた仕事ができずに悩みます。その後いくつかの経験を経て延岡市役所の公務員になります。「転職もし、回り道もしたが全部糧になっている。自分が好きなこと嫌いなことが自分を見つけるきっかけになる」とご自身の経験から子供たちへ語られています。

◆延岡市 延岡消防団女性消防隊長 富士持 正美さん 2023年10月制作
富士持さんは、フコク生命で働きながら延岡市消防団女性消防隊長を務めておられます。小学校の頃は人見知りだったそうです。でもまじめだったので学級委員長に選ばれたりして経験を積むうちに、苦手を克服できるようになっていきます。ある時誘われて女性消防団に入り、仲間ができて一緒に活動することが楽しくなったそうです。何も目標がないという人は、誘われたらやってみること。「できない」ではなく「ちょっとやってみよう」とチャレンジすれば新しい発見につながり自信も生まれると語られます。

◆株式会社グロウヘアー 代表取締役 伊藤 弘紀さん 2023年11月制作
伊藤さんは延岡で美容室を営んでおられます。中学生の時に野球をやめて夢がなくなり、高校も中退して様々な職を転々として苦労を重ねられます。ある時、美容師の方に声をかけられ美容の仕事に就かれますが、人がやったことがない技術を身に着けようと山口県のお店に修行に出ます。そこでは自分の力に落胆し苦悩しますが「人の4倍やってみろ」という言葉にスイッチが入ります。子供たちには一日の終わりに、これだけは頑張ったということを思い出して「〇」をつけることを続けてみて欲しいと語られます。

◆県立延岡病院看護部(がん看護専門看護師) 吉田 希美さん 2024年1月制作

吉田さんは、がんの患者さんとその家族だけに関わる看護師として仕事をされています。小学校時代にはいじめに遭いつらい経験もされましたが、そのことで「人への優しさ」を学んだと振り返られています。がん看護師として、多くの人の死を目のあたりにして心に穴が開いてしまうこともあります。でも患者さんに力をもらっています、と語られています。子供たちには「勉強は大人になる上でとても役に立っている。自分で好きだなと思える勉強をみつけて楽しんで欲しい!」とエールをおくられています。

◆(株)夕刊デイリー新聞社 藤本 康太郎さん 2022年12月制作
藤本さんは延岡市出身で、現在は夕刊デイリー新聞社の記者です。
ここに至るまでにはたくさんの挫折や苦労がありました。
学生の頃はやりたいことが見つからず、大学卒業後も2年間フリーターで過ごし、その後福岡の食品会社の営業の仕事に就きますが、挫折して延岡に帰ります。
その後若者サポートステーションで支援を受ける中で現在の仕事に出会われました。
「挫折も巡りめぐって良い方向に向かっていく」「必ず助けの手を差し伸べてくれる人が現れる」とメッセージをおくっておられます。

◆(株)ケーブルメディアワイワイ 松本 温美さん 2022年10月制作
松本さんは熊本県出身。中学生の時にアナウンサーになりたいと夢を持ち、大学卒業後に山形県のテレビ局に就職されました。
しかし入社してすぐに自分が作成したナレーションが認められず、大きな挫折を味わいます。
その後、様々な経験を重ねることで「聴くこと、素直になることの大切さ」に気付き乗り越えられたそうです。
ワイワイTVに入られて6年目になり、「視聴者の皆さんが元気になるきっかけが与えられるような番組をつくりたい」と夢を語っておられます。

◆山根製作所株式会社 山根 俊輔さん 2022年9月制作
山根さんは広島県出身で、延岡駅前エンクロスの設計に携わったことが縁で「建物ができた後も街づくりに関わりたい」と、独立起業後も東京に拠点を置きながら延岡でも仕事をされています。
中学生の時に建築家を志し、大学で建築を学ばれます。
何とかなると思えるような道を選ぶよりも、10年後に振り返って「かっこいい」と思えるような道を選ぶことが大事。
都会ではなく延岡にしかないものを創り、若者が「延岡に帰ってもいいな」と思えるような街にしたいと夢を語られています。

◆旭有機材(株) (延岡マラソンクラブ) 福島 玲奈さん 2022年8月制作
福島さんは延岡市北方町出身で、高校から陸上・長距離を始め、卒業後には関東の実業団駅伝部に所属していました。
海外合宿などもこなし順調に力をつけ次々に記録を出していた矢先に、ケガで戦線を離脱せざるを得なくなりました。
何とか回復しますが思うようには走れず、様々な挑戦をしながら競技に取組んでいかれました。
その後帰郷して、今は働きながら子育てをしながら地元のマラソンクラブに所属し、これまでお世話になった人たちに元気に走る姿を見せたいと練習に励んでおられます。

◆千徳酒造 門田 賢士さん 2022年5月制作
門田さんは、千徳酒造の社長と同時に、酒造りの責任者である杜氏もされています。
門田さんは、これまでのご自身の挫折体験を率直に語られています。
延岡工業高校の野球部で4番バッターとして甲子園に出場し活躍されますが、卒業後は就職しないまま引きこもり状態になり大変な苦労をされました。
そこから這い上がれたのは「素直さ」と「仲間の力」だと語られています。
悩みや失敗はスタートだと、そして「努力は裏切らない」と、子供たちにエールをおくられています。

◆日々とデザイン株式会社 甲斐 慶太朗さん 2022年2月制作
甲斐さんは福岡県出身で大学卒業後東京で働いた後、延岡に移住されました。
現在はデザイナーの仕事の他、離島島野浦の活性化に取組んでおられます。
これまでは、音楽活動、不動産業、メーカー業、酒造業等と様々な仕事を体験してこられましたが、「自分で選択してきたからこそ後悔は一つもない」と語られています。
これから中学生たちが延岡で何か新しいことを始めた時に、伴走し寄り添ってあげられる大人でありたい。
好きなことを大事にして何か新しいことに向かって欲しいとエールをおくられています。

◆城山ふとん店 松田 陽子さん 2021年12月制作
城山ふとん店は、延岡市で創業50年の老舗として、綿布団の製造やクリーニングなどを行っています。
松田さんは学校卒業後、千葉県の不動産会社で経験を積まれ、後継者として延岡に帰って来られました。
その後、布団の洗浄・殺菌機械の導入や刺繍プリント事業など新規事業にも果敢に挑戦されています。
不眠の悩みを抱えた人々に「快眠」を届けたいと願っておられます。
今年2月、企業の後継者が新たなビジネスプランを競う「アトツギ甲子園」に出場しファイナリストに入選されました。
「やらない後悔よりやった経験を」と子供たちにメッセージをおくられています。

◆NPO法人 Ganar代表 富高 和幸さん 2021年10月制作
富高さんは、2019年に延岡市でNPO法人を立ち上げて、子供たちにサッカーを教えておられます。
延岡市出身の富高さんは小学3年生からサッカーを始め高校・大学を経て「知らないところへ行って自分を高めたい」とアルゼンチンに渡り、プロサッカー選手として活躍されました。
25歳で引退したあとは「子供たちにサッカーを教えたい」と指導者としての道に進まれました。
「夢は一つでなくてもいい。何か熱中できるものを見つけて、自分で責任をもつ」ことの大事さを語られています。

◆株式会社 岸田電業 岸田 貴子さん 2021年5月制作
岸田さんは、延岡市にある岸田電業という電気工事をする会社の社長です。
もともとはアメリカで心理学を学ぼうと考えておられましたが、先代の社長が突然亡くなられて、38歳で社長を継承されることになりました。
女性とか男性とかを区別するのではなく、自分が輝ける仕事を見つけて欲しいと考えておられます。
男性の仕事とされてきた職場で女性の電気工事士を育てたり、高齢者や外国人を積極的に採用したりして、多様性のある組織づくりに取り組まれています。

◆大重産婦人科 看護師長・助産師 尾崎 アヤノさん 2021年1月制作
尾崎さんは、延岡市にある大重産婦人科病院にて68歳の今も現役として働いておられます。
これまでに2万人の赤ちゃんを取り上げてこられた助産師さんです。
助産師の仕事は、365日昼も夜もありませんが、生まれてくる子供たちを見守っていかれることで、プロフェッショナルとしての責務と誇りを感じていると語られています。
これまでいくつもの小中学校の「よのなか教室」で、「命の大切さ」についてお話をしていただいています。

◆延岡市駅前複合施設 エンクロス館長 中林 奨さん 2020年10月制作
中林さんは、2018年から延岡駅前にオープンした「エンクロス」の立ち上げに関わってこられました。
昨年は、コロナ禍で休館を余儀なくされますが、オンライン化した市民活動という新しい取組を始められました。
やりたいことができない、思うようにならない…といった環境の変化に直面しても、あきらめないで未来に向かって自分のできることをやっていくことが大事だと語られています。

◆風の菓子虎彦 営業部長 上田 和泉さん 2020年9月制作
上田さんは5歳から柔道を始めて、オリンピック選手を夢見て県外の高校へ進学しますが、その後様々な困難や挫折に遭遇します。
しかし、それを一つずつ乗り超えて新しい目標に挑戦していかれます。
現在も、コロナ禍の中でお菓子の売上が激減しますが、「移動店舗」という全く新しい取組でこれに向かい合おうとされています。

◆田口果樹園 田口 正幸さん 2020年6月制作
田口さんは年間を通じて様々な果物を育てている果物農家です。
実家の農家を継ぐのが嫌で、最初は大工の仕事をされていたという田口さん。
しかし、その中でものづくりの楽しさを知り、実家の農家を継ぐことになりました。
やりたいことの探し方、向き合い方について学べる内容です。

◆キュウリ農家 遠田 祐星さん 2020年6月制作
遠田さんはキュウリ農家をされる前、サラリーマンや漁師、飲食店、民宿、工場など様々な仕事をされていました。
色々なことをやってみた中で、最後にたどり着いたのが農業だったという遠田さん。
台風被害など大変なこともあったそうですが、それでも農業が好きだという遠田さんの仕事への想いや、困難への立ち向かい方について学べる内容です。

◆サバ生産者 中西 彬裕さん 2020年6月制作
中西さんはひむか本サバという宮崎ブランドのサバを養殖している生産者です。
実家の養殖業でとりあえず働き始めたという中西さんは、働く中で少しずつ自分の考えが芽生え、自分が思う商売にチャレンジを始めたそうです。
働く中で夢ややりがいを見出したという過程について学べる内容です。

◆延岡市キャリア教育支援センター長 水永 正憲さん 2020年6月制作
水永さんは都農町出身で、旭化成で主に人財育成の仕事をし、定年退職後に学校と企業・地域の橋渡しの仕事を始めました。
現在は宮崎県キャリア教育支援センターのトータルコーディネーターとして活動しています。
働くことの価値や幸せとは何か、といった生き方について考えられる内容です。

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